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悪魔組曲作品666番ニ短調

「悪魔組曲 作品666番 ニ短調」
序曲:心の叫び
第一楽章:STORMY NIGHT
第二楽章:悪魔の穴
第三楽章:KILL THE KING GHIDRAH
第四楽章:DEAD SYMPHONY
終曲:BATTLER

聖飢魔IIのメンバーを悪魔に覚醒させることになった重要な一曲である。

元々独立していた曲を全部ひとつにまとめて組曲にしたと記されることが多いのだが、それは若干違う。
今回は組曲完成までのいきさつを書きたいと思う。


「DEAD SYMPHONY」はダミアンがRay時代に作り、1982年12月にRay時代に一回だけ演奏されていた。
Rayで演奏された「DEAD SYMPHONY」は、始めからと同じテンポのイントロ~歌の1番・2番~ギターソロ(Kill The・・・と同じ)~悪魔組曲の「Dead Symphony」の2番を除いた部分、という構成であった。
元々「Kill The King Ghidorah」は「Dead Symphony」の中の一部だったのであるが、後に分離して第三楽章となるのである。

ダミアンは入院中にRay時代の「Dead Symphony」のアレンジを変更すべく色々と構想していた。
そして退院後の1983年2月に新曲「STORMY NIGHT」を完成させたダミアンは、買い物で新宿のラオックスに行った帰りに寄った松屋で、大好きな牛めしを食べてる途中でこの二曲を組曲としてくっつけようと閃いた。しかも「悪魔組曲」というタイトルも同時に浮かんだ。
この時点で「序曲 心の叫び」は出来ていなかったが、その当日と翌日にかけて序曲を考えた。

2月に完成した「悪魔組曲」のリハーサル用デモテープには第2楽章「悪魔の穴」が含まれておらず、「DEAD…」も「ダ ダンプで…」から後の歌詞がなく現在よりも短い曲であった。当然終曲「Battler」も収められていなかった。

「悪魔組曲」は組曲としては若干長さが物足りない、それと「STORMY NIGHT」の歌詞から考えて「Kill The King Ghidorah」への移行がいささか急展開ではないかというデーモンの意見を汲んで「悪魔の穴」を追加することとなった。作詞も作曲もデーモンだけで行い後からリハーサル時に伴奏を全員で考えた。
作詞は春合宿のリハーサルの合間に行われた。

「Dead Symphony」に「ダ ダンプで・・・」から後ろの歌詞がくっついたのは、スタジオ・レコーディングによるコンテスト応募用デモテープとして「悪魔組曲」を録音した時である。
急にデーモンが当日になって「Dead Symphonyに2番をつけましょう!」と言ってきて、ボーカル以外の伴奏を録音している間に2番を考えたのだ。
ダミアンは急きょ間奏を考え、まだ知らぬ2番の伴奏も含めて尺を伸ばして録音した。

こうして、Ray時代の「Dead Symphony」から半年以上かけて「悪魔組曲」は完成したのである。

終曲である「BATTLER」が完成したのは1985年。
元々はインスト曲として独立した1曲だったが、教典制作に当たり「悪魔組曲」に付けられ終曲としてレコーディングされた。

「Dead Symphony」の始まりでデーモンは天地逆転唱法という名の三点倒立で歌うわけであるが、これはデーモンのアイデアである。
ある日の練習スタジオでデーモンが「これこういうふうに(三点倒立で)歌ったらどうですかね?」とダミアンに聞いたところ、ダミアンは「あっ面白いね!やってみよう!」とOKを出したので、それ以来天地逆転唱法で歌うことになる。

# by lovespy80s | 2017-05-21 18:40

聖飢魔IIのエース清水

「聖飢魔Ⅱに入ったきっかけは、ダミアン浜田がさ、「清水さん清水さん、ドラム叩きまへんか?」って言って来てさ。そうなんだよ、俺最初ドラム叩いてたんだよ、やんなっちゃうよね(笑)」

これはエース清水が語った有名な話。

でもこの「清水さん清水さん、ドラム叩きまへんか?」は聖飢魔IIメンバー勧誘の時に言われた台詞じゃないと思われる。

聖飢魔II結成前に、ダミアンがリーダーでやっていたバンド名は「Ray」。
そのバンドの初代ドラムはなんとエース清水。
エースは聖飢魔IIの前に、ダミアンのバンドで既にドラムを叩いていたのだ。
因みにRayの二代目ドラムはジード飯島である。

きっとエースはRay結成時の勧誘でダミアンに言われた台詞を、Rayというバンドのことを省略して、聖飢魔II勧誘の時に言われたという設定にしているのかもしれない。

実際聖飢魔IIのメンバー勧誘で動いていたのは、入院しているダミアンの代理のデーモンだった。

1983年は現在では当たり前に持っている携帯電話は存在してない。
今であればダミアンがどこに居ても、エースの携帯に電話をしてダミアン自身がエースを直接勧誘出来るかもしれないが、当時の連絡手段は主に固定電話や手紙の時代だったのである。
山口県で入院しているダミアンが「清水さん清水さん、ドラム叩きまへんか?」って直接エースを誘えるはずはない。
自分で誘えないのでデーモンを使者にしたのだから。

まあ話しとしては、正確に話すよりも、「清水さん清水さん、ドラム叩きまへんか?」って聖飢魔IIに勧誘されたって方がシンプルで面白いかもしれない。

因みに正確に話しをした場合、こんな感じになると思う。
「ダミアン浜田がRayというバンドを組むんで「清水さん清水さん、ドラム叩きまへんか?」って言って来てさ。それで加入してドラム叩いてたけど途中で脱退したんだ。そしたら数ヶ月後、ダミアン浜田が春合宿に向けてまた新しいバンドを組むっていうんで、デーモンが代理でドラマーの勧誘に来たんだよ。それが聖飢魔IIに入ったきっかけ。」
どうですかね?

あとエースの事でもうひとつ。

代表曲「蝋人形の館」
作詞作曲はダミアン浜田。

メジャーデビュー後の教典収録にあたり「蝋人形の館」のギターソロを作ったのはエース清水。
ミサやテレビ出演で聴く「蝋人形の館」のおなじみのギターソロだ。
ギターソロの部分をエースが新たに作ったのだ。
それまではダミアン作のギターソロで演奏されていた。

信者さんの中には、あのギターソロもダミアン作だと思っている人がいるがそれは間違いである。

尚、ダミアンギターソロverはyoutubeに上がっているのでそこで聴くことが出来る。

https://youtu.be/mJ09tF6Y0N0

# by lovespy80s | 2017-03-30 17:27 | 聖飢魔II

聖飢魔IIというバンド名

「聖なる物に飢えている悪魔がII(ふたたび)蘇る」
これを略したものが聖飢魔IIのバンド名とされている。
信者さんのブログでもそう書かれてる事がチラホラ。

いつからそういう設定になったのか調べてないけど、これって後付け設定ですよね。

今回はバンドが結成されたあと、聖飢魔IIというバンド名が決定するいきさつを書きたいと思う。

ダミアン浜田をリーダー、メンバーにデーモン小暮、エース清水、ゾッド星島で結成されたバンドは、1983年3月に行われる早稲田フォークソングサークルの春合宿に参加することとなる。

ダミアンは合宿前にバンド名を「浜田バンド」で申請していたが、合宿2日目に掲示された練習タイム・テーブルには「浜田さんバンド」と記載されていた。
さらに合宿3日目に掲示された練習タイム・テーブルには何故か「は、は、は、は、浜田さんバンド」となっていた。

この時、ダミアンは3年生であり春合宿の幹事を務める2年生より先輩であったためタイムテーブルに「さん」をつけたのであろうが、3日目に何故さらに「は、は、は、は、」がくっついたのかは全く以て不明であるという。
しかしダミアンは、面白いので「ま、いっか。」とそのままにしていた。

春合宿を終えた「は、は、は、は、浜田さんバンド」は、4月に行われる新入生歓迎コンサートに出演を決める。
内輪の発表会ならともかく、外部の客が観に来る新入生歓迎コンサートにおいて「は、は、は、は、浜田さんバンド」ではまずかろうと思ったデーモンが、ミーティング時に「バンド名をちゃんと考えましょう。私が考えてもイイですか?」とダミアンに尋ねる。
ダミアンは「もぉちろんイイよぉ!」的な返答をした。

その翌週のミーティング時にデーモンが「GOD HAND」や「魔殺(まさい)」等、4つか5つのバンド名の候補を挙げて来た。その中にあった「世紀末」をダミアンは選んだ。

そして、自宅に帰ってダミアンは、本当に「世紀末」で良いのだろうかと思い色々と再考していていた時、ふと文字を変えようと閃いた。割と短時間で「聖飢魔Ⅱ」と「聖奇魔Ⅱ」の二つを考えどっちにしようか迷った挙句、デーモンに決めてもらおうと思い、その次のミーティングで紙に書いた2つのバンド名候補を見せた。

するとデーモンは、悩むことなく見た瞬間に「こっち(聖飢魔Ⅱ)にしましょう。」と指差して答えた。
こうして、バンド名が決定し聖飢魔Ⅱは誕生したのである。

「聖なる物に飢えている悪魔がII(ふたたび)蘇る」は
「THE END OF THE CENTURY」の中の歌詞。
この曲の元曲は「CENTURY END」で、1984年1月にダミアン浜田によって作られた。
しかも「CENTURY END」では「聖なる物に飢えている悪魔がII(ふたたび)蘇る」という歌詞は存在しない。

以上のことから、聖飢魔IIは「聖なる物に飢えている悪魔がII(ふたたび)蘇る」の略だというのは間違いか、間違いでなければ後付け設定であると言えるだろう。

因みに「魔王凱旋」と「創世記」は歌詞なしの聖飢魔IIのテーマ曲で、「CENTURY END」は歌詞付きの聖飢魔IIのテーマ曲としてダミアンは作った。


# by lovespy80s | 2017-03-29 13:29 | 聖飢魔II

聖飢魔IIの結成

聖飢魔IIといえば創始者のダミアン浜田を忘れてはならない。

ダミアンは早稲田大学3年の1982年冬、それまで自分が率いていたRayというバンドのメンバーが流動的だったので、翌年3月に行われる早稲田フォークソングサークルの春合宿に新たに自分とバンドを組んで参加するメンバーを考えていた。
ダミアンは学生最後の春合宿になるので、4月から自分と同じく4年生になる同級生と組むことを熱望していた。

だが1982年末に世仮の故郷山口に帰省した際、大晦日から自然気胸という病気で長期入院を余儀なくされ上京が遅れてしまうことになる。
要は自分でメンバー集めが出来なくなってしまったわけだ。
病院のベッドで春合宿のメンバーを考えたダミアンは、懇意にしていた1年生のデーモンにメンバーリストが書いてある手紙を送り、リストに従い自分の代わりにメンバー集めをするように依頼する。

しかし、リストのどのパートの第1候補に書かれたメンバーに当たっても、既に春合宿は他のバンドで参加が決定している者や、春合宿に参加しない者、ヘビメタをやったことがないので等とことごとく断られる。

その為全員同級生でバンドを組むのが不可能になり、同級生枠を外れた第2候補の別学年のベースゾッド星島、ドラムエース清水がまず決定する。
しかしボーカルだけは第3候補まで交渉成立しなかった。

そのことを報告したデーモンは「ボーカルだけが決まりませんが私ではダメでしょうか?」とダミアンに申し出、「もぉちろんイイよぉ!」とダミアンはそれを受け入れる。

こうして聖飢魔IIになるメンバーが誕生した。


wikiやネットに聖飢魔IIの結成は1982年末と記載されていることが多いが、1982年末には結成どころかメンバーすら決定していない。聖飢魔IIはその時点では存在していないのである。



# by lovespy80s | 2017-03-28 18:48 | 聖飢魔II

聖飢魔II

今更ながらなぜか今聖飢魔IIにハマっている。

つい最近まで「蝋人形の館」一曲しか知らなかったのにだ。

もちろんデーモン閣下は知っているが、他の構成員は全く知らなかった。

80年代半ばにデーモン小暮がテレビに出演するようなって強烈なインパクトを与えられた。

地声は低いのに歌う声は高い。ヘビメタバンド。「お前も蝋人形にしてやろうか!」。悪魔。
ただそんな認識でありハマることはなかった。

当時80年代半ばといえば、私はDiscoに通いつめていたのでほぼ洋楽しか聴かず、邦楽には全く興味を持っていなかったのも一因だろう。

しかし最近、たまたまyoutubeで聖飢魔IIの曲を聴いてみたらこれがなんとも素晴らしい!

食わず嫌いというよりも、知ってたけど今まで食べたことがなく、食べてみたらとっても美味しいものだったって感覚!

興味が湧いたので聖飢魔IIについて色々調べた。

1999年12月31日をもって解散していること。
解散していることすら知らなかった。

ところが詳しく調べていくと、wikiやネットに出てる情報は微妙に間違ってて正確に書かれてないことが多く、なんか腑に落ちない点がいくつもあるんだな。

例えばwikiでは1982年末に結成されたとなっているが、絶対にそれはあり得ない。結成はもうちょい後のはず。
信者さんはそれで納得してるのか?それとも疑問に思わず素直に受け入れているのか?

今後、聖飢魔IIの正確なプロフィールなどの情報を書いてみようと思う。





# by lovespy80s | 2017-03-28 10:01 | 聖飢魔II